眠りに着く前のささやかなスピリチュアルタイム

とても心地よくて不思議な世界観漂う小説を読みました。それは兼ねてからファンでもある女性作家が手掛けたものでした。いつも新しい物語に出会う度に今まで感じた事のない感覚を味わってきたように思います。
昨晩寝る前に布団の中で読んだ本はこの作家が手掛けた短編作品が幾つか収められたもので、どの物語にもこの世に生きる者とあの世に行ってしまった者を結び付けるエピソードが込められていました。初めは幽霊をイメージしてしまい「夜眠れなくなってしまったらどうしよう」という不安にさいなまれましたが、読み進めてゆくうちにそんな気持ちは全く抱かないことを悟ったのでした。
大切な人を失ったがために気が付かないうちに心に深い闇を持つようになった主人公、憎しみを抱いていたにも関わらず死によって気付かされた思いなど、様々な形で記憶や心の根底にある他者との関係が浮き彫りになる作品達はそっと私の中に入ってきて、切なくも優しい余韻を与えてくれました。死に直面することによって悲しさの許容範囲が分からなくなってしまい何事もなかったかのように振る舞う人々のやるせなさは、小説の中ではまるで丸くてフワフワして柔らかい羽根布団のように感じました。しかし当事者達にとっては、ひどく尖ったナイフのような悲しみであることを垣間見たのでした。そして死と生が隣り合う物語達はスピリチュアルな世界に一歩踏み入れたかのような摩訶不思議な時間を与えてくれました。時にはこんな夜があってもいいと感じています。

高齢犬の問題

現代は昔と比べると食事や医学の進歩で人間の寿命が延びたように、犬や猫の寿命も延びていると以前、本で読んだことがあります。でも、それに従って、人間と同じようにペットにも介護の問題が起きてきています。元気なうちはいいけれど、痴呆が始まったり、足腰が弱くなったり、歩行が困難になったりするんです。そして、オシッコやウンチだって、今までちゃんとできていたのが、粗相が多くなってくるんだそうです。けど、それは歳をとってそうなってきたんだから、叱っては可愛そうなんです。
実は、うちのワンコが最近、おうちでお漏らしをするようになってきて、ちょっと頭を悩ませています。だから、老犬の世話について書かれた本を読んでみたり、そんな記事を探したりしています。うちのワンコは外でしかオシッコやウンチができなくて、お散歩に行くまで我慢してるんです。若いときは、私が仕事から帰ってくるまで待っていて、もちろん、その時も可哀想だとは思っていたんですけど、最近は我慢が出来なくなってきたみたいです。だから、漏らしてるときだって、完全に全部しちゃってるわけじゃないんです。そのうえ、本人はいけないことをしたと思っていて、私の顔色を見たりしています。そんな様子を見ていると余計可哀想で……。ワンコが小さな時に、お家でもできるように躾ができなかった私が悪いんです。もう老犬だから、今さら躾は難しいと思います。でも、ちょっとでも楽にしてあげたいから、今、何か良い方法がないかと思案中なんです。

『ロス』ということ

人は自分の大事なものを失ったときには、心にポカンと穴が開いたように感じるものです。それを最近では『○○ロス』と呼んでいます。以前、『ペットロス』について書かれた本を読んだことがあります。家族の一員とし生活してきたペットの『死』が人を無気力にしてしまうというものです。これは本当にわかります。私もワンコを飼っていますけど、いずれ訪れる別れの事を考えると、胸が痛くなります。もうすぐ14歳になるから、その日が数年後にはやってくるんだと思うと、なんとも言えない気持ちです。
今までテレビや雑誌で、芸能人の結婚や引退によってファンの人たちが気力を失ってしまうということを耳にしたことがあります。まさに『○○ロス』と呼ばれていました。でも、ちょっと大げさなんじゃないの?って思っていたんです。自分の身内や恋人じゃないんだから、そんなに落ち込むなんて……と。それなのに、先日、ある芸能人が引退してしまった時に、自分でも信じられない心境になったんです。翌日、仕事に行ってもなぜか気が乗らないんです。気持ちが常にどんよりしているとでも言えばいいのかな。「どうした? 私」といった気分です。そして、ふと思ったんです。これって『ロス』じゃないの?って。自分としてはそんなに熱烈なファンのつもりはなかったのにビックリです。私でさえこんな気持ちになるんだから、熱狂的なファンの人達の気持ちがわかるというものです。だったら私は「ワンコとの毎日を本当に大事にしなくっちゃ」とつくづく思うのです。